美しき衣を纏いて・・・

岩魚、彼らほど生活域によって個体差の激しい淡水魚はいないのではないだろうか。同じ水系であっても谷が
一つ違えば体のグラデーションがまったく違う事もよくある事だ。場所場所に魚の形や色を楽しむのも釣りの大
きな醍醐味の一つと言えるだろう。今回はラークの新色を携えてタイプの違う谷に幾つか入り七変化する岩魚
の美しさを堪能する中で感じた事を幾つか書きたいと思う。

岩魚族はイトウ、ミヤベイワナ、オショロコマ、アメマス、ニッコウイワナ、ヤマトイワナ、ゴギ、など数種に分類分
けがされている。しかし、アメマス、ニッコウイワナ、ヤマトイワナなどは生息域がかぶっていたり、谷によっての
個体差が激しいので明確な区分けは難しいのもと考えられる。書物では「ヤマトイワナの朱点は朱紅色で側線
の上下にほとんど一様に並列しており、しかも成魚においてもその色彩が確然と存在している」となっているが、
同書物も記しているが、同一水系内においても源流帯や小谷の岩魚では特に濃くなる傾向があるなど、やはり
生活する場所によっての個体差があるので区別は曖昧になってしまうのだ。

私個人としては、「ここに居るのは何岩魚です」というような議論より、本来そこに居た谷ヶの個性溢れる岩魚を楽
しむ方が自然なのではないかと考えている。ここで問題になって来るのが養魚放流なのだが、現在は養殖しやす
いアメマス系の種苗が多く使われているので、本来そこに居なかった種が入り込み原種と交配することで元々い
た種がどんどん減っているのだ。確かに遊魚を楽しむ私達には放流事業は大切な事だろうし、漁協の方々も沢山
の人が来てくれるようにと力を注いでいるだろう。 しかし、今日は何処の川に行こうと言った時に「あそこの川は放
流量が多い」とか「何月何日にあの橋の下で何トン放流があるから」っというようなポイントの決め方にはいささか疑
問を抱いてしまうのだ。これも私個人の考え方だが、アマゴ、イワナなどの渓流魚釣りに何を求めるか?それは自
分の足で会いに行ける非日常性ではないかと思うのだ。渓流魚はネイティブだ!という人もいるが、一日前までイ
ケスでペレットを食べていた魚と、外来種ではあるが既に日本に帰化して自分の力で強く生きているブラックバスが
どちらがネイティブかと言われれば、私は確実にブラックバスだと答えるだろう。

この意見は、けして養殖業を非難しているものでもないしトラウトの管理釣り場を馬鹿にしているものではなく、釣り
人が一匹の魚にどのように出会いたいかの考え方だと思って欲しい。管釣りに関しては同じ魚を釣るにしてもまった
く別の世界があってそれを楽しむ醍醐味があるし、誰でも気軽に魚と触れ合える有意義な場所だと思う。放流事業
に関しては、目先のお客をつかむ為の種を問わない過激な放流よりも、願わくばもっと先の事を考え本来そこの場
所に居る魚から種を取り、例え数は少なくとも元々居た魚を多くしていく放流の形になればと思うのだ。

今回訪れた数箇所は全て車で1時間圏内の渓相の違う谷だったが、殆んどが恐らく放流はされていないであろう谷
ばかりを回ったつもりだ。上が開けている所、木がオーバーハングしていてクモの巣だらけの小谷、大きな岩がある
男性的な
所、小さな滝つぼの連続する所、様々な場所に個性溢れる固体が潜んでいた。どの場所も優越がつけが
たいほど美しい衣を身に纏い、私は今日も彼らの虜になってしまった。次は何処の魚に会いに行こうか、地図を広げ
て人が入らなそうな所を探しながら夢と期待は膨らみ続ける・・・