バスときどき刃物祭りな休日

10月になり、そこかしこで祭りの便りが届くようになった。隣町の岐阜県関市でも、11,12日に毎年恒例の「刃物祭り」が開催され、
多くの人で賑わっていた。 今回の釣行記は、久しぶりのバス釣りや刃物祭り散策と、のんびり休日を満喫した話である。

12日の朝、8時に目が覚めて、布団の中で今日一日の過ごし方を考えていた。何を買うという目的はないのだが、毎年「刃物祭り」
には行くので、今年もやはり行こうと思いたつ。後は誰を道連れにするか・・・  今回白羽の矢が刺さったのは、保育園からの連
れムネ。小学生の頃からチャリンコでそこらじゅうの池に通った仲である。

せっかくの休みに釣りをしないのもなんなので、久しぶりにゴムボートを出して野池をランガン&昼間にメシを食べがてら祭りに行
こうと考え、早速ムネに電話を入れた。携帯電話の音で目が覚めた様だったが、「今日、暇やろ?釣り行くぞ、ウチ集合な!」っと、
何時もの様に半ば強制的に呼び出すと、「おぅ〜わかった〜」っと寝ぼけながら返事が返ってきた。難しい事を言わなくても相手の
性格を解り合っている連れとは実に有り難いものだ。

そんな訳で、とある野池を車中で選び、いざ出陣。数年ぶりに来た池は、以前よりマッディーになっていた。ここ最近急激に寒暖の
差が激しくなったので、ターンオーバーの様なものがおきているのか、どちらにしても幸先はあまり良くないような気がしていた。結
果は、予想的中。ぐるりと池一周、オーバーハングの下を果敢に攻めたものの、一匹掛けただけで、それも途中でバラシてしまい、
この池ではボウズをくらってしまった。ムネに至っては秋の定番、ファーストムービング系のルアーを延々投げていたが、アタリす
ら無しだった。

しょうがないので、一時退散して刃物祭りに行く事にした。隣町の関市は古くから刀匠の町として栄え、名刀「孫六」を生んだ、刃
物の一大生産地。今でも包丁やハサミなどは、国内で大部分のシェアを誇っている土地柄なのだ。そんな刃物の町の商店街で
毎年行われているのが「刃物祭り」で、市内の刃物メーカーや、小売店が、露天を出して商品を売るのだ。普段よりも安く買える
事や、海外メーカーのナイフなどが色々売っているので、家族連れからナイフマニアまで、毎年多くの人が訪れる関市のメーン
イベントとなっている。


釣り好き、大きく囲ってアウトドア好きの大半は、かっこいいナイフや機能的なナイフに、興味があるものだと勝手に思い込んでいる。
やはり自分もその口で、中学生の頃からムネ達と自転車で祭りに行っては、未だ年齢的に買えないものの、『かっこいいなぁ〜
何時かは欲しいなぁ〜』っと思いを馳せたものだ。  昨今、刃物、ナイフの事件が多く起きているが、普段から刃物を使っている人
間からすれば、悪いのは刃物ではなく、問題は、それを使う人間の方にあるのではないかと思えてならない。子供達から危険な物
を全部取り上げてしまうのではなく、どの様にしたら幸せに活用出来るかを説く方がよっぽど重要なのではないかと、毎年この祭り
に来る度に思うのだ。 

さて、お腹も空いてきたので昼食をとる事に。ムネが「満月堂行こうぜっ!」っと言うので、数ある屋台の匂いを避けつつ、会場内の
本町通りにある、関市民の心の味『満月堂』に向かった。なんとか店内には入れたが、入り口には名物の満月焼き(大判焼き)を求
めるお客で、長蛇の列が出来ている。やはり祭り事の時は、シャッター街になってしまったこの通りも活気があっていいもんだと思
いながら、おばちゃんに焼きそば2人前を頼んだ。 

この焼きそばがなんともウマイのだ。洒落た訳でもなく、もの凄い美味という程でもないのだが、昔ながらのステン皿に盛られた焼
きそばは、肉、卵のトッピングをしても300円とお財布にも優しく、昭和の香りが残る優しい味の焼きそばなのだ。ここではムネとジ
ャンゴチ(ジャンケンをして負けた方のおごり)をして負けたので、いさぎよく払ったが、外に出てから屋台のお好み焼きでジャンゴ
チをして勝ったので、ドローとなった。屋台の方が味の割りに高い買い物なので、改めて満月堂の良さを再確認出来た。流石、庶
民の味方満月堂だ。 

お腹も膨れた所で、バス釣り後半戦に突入。今度は、型は全体に小さいが、個体数の多い野池に行く事にした。ゆっくりとオール
を漕ぎ、ストーキングでポイントに近づく。スキッピングでノーシンカーのワームをオーバーハングの下に滑り込ませると、着水して
フォーリングするなり途端にラインが横に走り出した。しかし、フッキングするとワームだけが虚しく飛んできた。もしやと思い、同じ
場所付近に投げて、アタリがあってもフッキングしずにラインアタリを聴いてみる。「ギルだなこりゃ〜」と言うが速いか、ムネもカラ
合わせをしてワームを空に飛ばしていた。 その後、猛烈なギルの攻撃を受けながら20数センチのバスを少し釣った時点でタイ
ムアップとなった。

湖面は茜色の空を綺麗に映し出し、波が立たなければ、どちらが本当の世界かわからなく程だ。思えば、チャリンコに竿をかつい
でそこいら中の釣り場を連れ達と駆け回っていた時から、横に居るこいつ等とは回数は減ったものの、未だに同じ空を見て、同じ
空気に触れて、同じ時を過ごしている。 釣りのいろはを何にも知らなかった子供の頃は、今より全然魚は釣れなかったけど、今
よりもっと輝いて釣りをしていたはずだ。きっと釣りという遊びを通して、仲間と一緒に居られる時間そのものを純粋に楽しんでい
たからだろう。 

ボートを陸に上げて、帰り支度をしながらお互いに、「しっかし釣れなかったな〜」「ボート乗ってこれじゃ〜相当運気が下がってん
ぞ」っと笑い合う二人の影は、あの日のように遠くまで長く伸びていた。